GREEN SPRINGS

撮影:根本健太郎写真事務所

はじめに

GREEN SPRINGSは新宿から中央特快で25分弱、都⼼と郊外・多摩との“結節点”である⽴川にある。本施設は、⽴川市の約25分の1に及ぶ広⼤な⼟地のオーナーである⽴⾶グループによって企画・開発、運営されている。都⼼部の再開発とは⼀線を画し、⽴川に根差した企業として、⽴川の魅⼒を活かした独⾃性のある持続性の⾼い街づくりを⽬指した。
⼭下設計は、地域開発の初期段階から計画に参画し、開発全体のアドバイスを⾏うとともにプロジェクトマネジメント及び設計・監理業務を⾏った。
3年以内に着⼯という条件付きの難易度が⾼いプロジェクトの実現には⾼度で専⾨的な知⾒が不可⽋だった。多くの専⾨家やデザイナーとの協働体制を構築し、⼀丸となって築き上げたこの場所は、新しい時代への起点となる、新たな価値観を発信している。

⽬指すのは、⽴川のポテンシャルを活かした⽴川ならではの在り⽅

プロジェクトの発端は、2015年、⽴⾶ホールディングスが財務省から国営昭和記念公園に隣接する敷地を取得したことにさかのぼる。発⾜当時から中⼼メンバーだったランドスケープデザイナーの平賀達也⽒は、「落札⽇にちょうど今回のプロジェクトに関わるメンバーがまっていて、⽴⾶ホールディングスの村⼭正道社⻑がその場で“任せたよと宣⾔されました」と、当時を振り返る。

すぐに始まったコンセプトづくりは難航を極めた。「⼟地だけがあって、そもそも何を作るかが⽩紙でした。都⼼の複合開発とは違う、⽴川ならではのポテンシャルを⽣かしたいという思いや、事業としての『⽴川とその周辺エリアを含む都市格の向上』というビジョンはありましたが、それをどう⾔葉でまとめ、何を施設のコンテンツとするのか。3年以内に着⼯しなければならない中、焦りもありました」と資⾦調達を担う公認会計⼠であり、プロジェクトの責任者に就任した横⼭友之⽒は語る。

プロジェクト開始から半年が経過した11⽉、⼭下設計からプロジェクトマネージャーとして岸川と設計部⾨を統括する⾨⽥哲也以下設計チームの参加が決まった。岸川は、それぞれの専⾨家の役割・業務範囲・責任区分や相互の関係性を定義付けするとともにプロジェクトの過程で発⽣する様々な課題を整理し、解決に向けたスケジュール管理を⾏った。
その場⾯をデザインアーキテクトの清⽔卓⽒はこう表現する。「プロの役者と台本とプロデューサーが揃っているが『監督』が不在の状態でした。岸川さんのメンバーの本気度を確認する⼀⾔で、空気がバチっと決まったのを覚えています。」

計画の価値の最⼤化を図るプロジェクト運営⼿法として、メンバーの役割の垣根をある程度曖昧にしていたのも特徴的だと⾔える。「プロフェッショナルが参加しているからこそ、役割を明確化するより、グレーゾーンを⽣かして開発のレベルをあげていこうと。その⽅が⾯⽩いものが⽣まれると考えました」と、岸川はそれが意図的であったことを明かす。

そしてピースが埋まったかの様に⻭⾞が動き出した。
これからの時代の新しい価値観を⽰す⾔葉として
『空と⼤地と⼈がつながるウェルビーイングタウン』というコンセプトが決まり、
『⽬的がなくても来てもらえる場所』『歩いているだけで⾃分がかっこいいと思える場所』『地域の⼈が⾃分の場所だと思えるパブリックスペース』といった共有イメージが固まっていった。

チームビルディングに不可⽋なコンセプトの共有

着⼯に向けて⼀気に動きが加速するに連れて、関わるメンバーも増えていった。その中でコンセプトの共有を何よりも⼤切にしながらプロジェクトが進められた。
「新たなメンバーが加わるたびに、丁寧にコンセプトを説明していましたね。それは海外メーカーに対しても同じで、外壁の部材を製造した中国のメーカーにも、現地に出向いてどんな建物に使われるのかなど、横⼭さんがしっかり話をしていたのが印象的でした」と平賀⽒は語る。外壁のアルミパネルは建築の顔となる部材で、塗装技術も難しい。何度もやりなおしを依頼したが、粘り強く頑張ってくれたという。「⼯場の⽅々は、最終的に⾃分たちの作ったものがどう使われるのか、あまり話してもらったことがないと⾔うのです。私は不動産デベロッパーとしての経験がなかったので、⼈として普通にやるべきことだと考えていました。開発の常識で動かなかったことが、逆に良かったのかもしれません」と横⼭⽒。部材⼯場のメンバーもチームの⼀員としての意識を持ち、いつかGREEN SPRINGSを訪れてみたいと話しているそうだ。

チームを動かす原動⼒、その基盤は「信頼」

プロジェクトの核にあったのは、チームに対するトップの全⾯的な信頼だった。平賀⽒は、「村⼭社⻑は細かいことは⾔わず任せてくれました。無難なものを残すやり⽅ではなく、良いところを活かしていく姿勢でしたね。そして時々メンバーを集めて激励してくれる。その時間があって、みんなが⼀つになれたと思います」と語る。さらに、「⾨⽥さんが⾏政協議で⼈知れず丁寧な対応をしていたことも知っています。厳しい時間の制約の中、⽴川市と協議を重ね実現につなげてくれた」とも話してくれた。

「建築デザイナーはクリエイティブで偉⼤な存在ですが、不動産開発でプロジェクトを着地させるには、⾏政協議、施⼯、私のパートである資⾦調達など、さまざまなプロフェッショナルの⼒が不可⽋です。お互いそれぞれのパートをリスペクトしながら仕事ができるチームでした。⾨⽥さんは設計責任者として、若⼿も育てながらプロジェクトを遂⾏していましたね」と横⼭⽒は述懐する。チームとしてお互いをリスペクトしているからケアもする。メンバーの誰かが悩んでいれば声をかける。職種や会社を超えたメンバーの結束がおのずと強まっていった。

緊急事態宣⾔下での静かな幕開け

様々な課題をクリアして作り上げられた施設は、いよいよ2020年にグランドオープンを迎えた。1回⽬の緊急事態宣⾔下で隣接する昭和記念公園が閉園する中、地域に開放された⽴川の新名所。「そこには最新のスポットに⼤勢が詰めかける従来の⾵景はなく、代わりに地域の⼈びとがそれぞれソーシャルディスタンスを守りながら、⾃分の家のようにくつろぐ姿が象徴的だった」と平賀⽒は振り返る。

これからの時代のニーズを⽰す『ウェルビーイング』な環境創造

「次の100年は便利で豊かであることだけでなく、地球環境と向き合いながらどう⼈間が暮らしやすくしていくのかということがテーマになるでしょう。GREEN SPRINGSという施設が、その気づきの⼀助になればと思います」
⾼層ビルやタワーマンションに象徴されるように、建築⾯積を積むことは『空の容積を削る』ことだ。⼈間が⼈間らしく暮らしていくことが希求されるなら、開発や建築はどんな⽅向へ向かうのか。100年後に振り返った時に、ここが『価値観の転換点』になっているかもしれないと横⼭⽒は考えている。

「建築は完成の瞬間から古くなり始めます。これからはサステナブルな建築として、⽤途を固定しないことも⼀つの道です。例えば現在は商業施設でも、将来的にオフィスや住まいなどニーズが変わることを当然として、それに合わせていくことが必要になるのではないでしょうか」と⾨⽥は語る。

 清⽔⽒は、この施設を『街の縁側』と表現した。アメリカ出⾝だからこそ、内と外をつなぐ曖昧な場所『縁側』に魅⼒を感じるという。「仕事と遊び、ウィークデーとウィークエンド、街と⾃然、いろいろな世界を跨ぐ時間・空間がGREEN SPRINGSの特徴だと思っています」

「かつて⼈間らしいバランスを持てていた⼈類が、豊かになるために効率を求め、それが⾏き過ぎると、幸せや健康という⼈間の根本的な希望が忘れ去られてしまう。そんな時代に⼀⽯を投じるプロジェクトではないでしょうか」と横⼭⽒。
そして「⽣物の世界では環境のポテンシャルが⾼い所から進化が始まるといいますが、ここがそういう場所になるのではないかと期待しています。1つの成功事例として終わらせてはいけない」と平賀⽒は思いを語った。

岸川も「既存のやり⽅では社会課題の解決につなげるような今回のプロジェクトは実現できませんでした。あらゆる⾯で新しいことにチャレンジできたこのプロジェクトに出会えて幸せでした」と話す。

⼈が集まることで何かが⽣み出されることは事実だ。しかしコロナ禍も重なり、集まることの意味が問われる中、これからの商業施設とは、これからの開発はどうあるべきなのだろうか。プロジェクトの中でコンセプトに掲げられた『ウェルビーイング』は今や⼀般的な⾔葉となった。モノが豊かになった今だからこそ、⼈間がウェルビーイングに⽣きていける場所とは︖『⽴川は都⼼より空が⼤きいと感じる』。コンセプトづくりの鍵の⼀つになったこの気づきにも、新しい時代に向けた答えが⽰されているのかもしれない。


株式会社 ⽴⾶ストラテジーラボ 執⾏役員
⼀般社団法⼈ ⽴⾶教育⽂化振興会 理事⻑
公認会計⼠ 横⼭ 友之


株式会社 ランドスケープ・プラス
代表取締役 平賀 達也


株式会社スタジオタクシミズ
清⽔ 卓


株式会社 ⼭下設計
取締役 執⾏役員
ソリューション本部⻑ 岸川 聡史


株式会社 ⼭下設計
ソリューション本部 副本部⻑
プロジェクト推進本部 副本部⻑
都市計画部 部⻑ ⾨⽥ 哲也

設計・監理チーム:
原田聡、笠木修、中嶋大輔、伊藤玲央、有山英伸、鈴木茜、木原紗知、戸塚千尋、
堀米里史、曽根拓也、山浦夕佳、松本泰彦、松村佳明、大屋三幸